« 環境 | トップページ | 青年部総会&県青連総会 »

2007年5月 4日 (金)

黒澤明vsハリウッド

070504_kurosawa 今年の「大宅壮一ノンフィクション大賞」の一作。

1967年4月20世紀Fox社は、真珠湾奇襲攻撃を題材とした日米合作映画「トラ・トラ・トラ」の制作発表を行い、その日本側監督を黒澤明が務める事を同時に発表した。

が、その1年半後、撮影開始後3週間足らずの1968年12月24日、黒澤は解任される。

なぜ、黒澤は解任されたのか、この事を正面から取り上げたモノは少なくとも日本側には無かったように思う。

この事件の3年後に黒澤が自殺(この解任が遠因にあったと誰もが想像した。)を図り未遂に終わった事もあり、断片的に残されている日本側関係者のコメントは、世界のクロサワをかばおうとする意識があるためか、”核心部分については言葉を濁し、歯切れの悪い”ものしか残っていない。

本書のは20世紀Fox社の資料を中心にすることでハッキリと、”天皇”とも称されたワンマン黒澤明と、スタッフ始め制作者などの周囲との確執が拡大し、彼が壊れていくサマが、明らかにされていく。

脚本決定までの推移は、黒澤オリジナルの脚本と、完成版との比較がなされ黒澤版「トラ・トラ・トラ」が完成したらどうだったろう?と、楽しい想像もさせられるが、日米間の手直しの応酬はあきれるほど。

制作者(20世紀Fox社)との調整に難航しながらも、脚本決定稿が仕上がり、撮影準備は整った。
キャスティングは黒澤の強い意向で、海軍兵学校出身者を中心とした中で選定された。本物の旧海軍エリート達のリアリティを求めたのだが、演技経験のない素人の登用に、先ずプロの俳優陣が態度を硬化させる。

こののち、黒澤が以前にも増して新人登用に積極的になったのも、このあたりの事が影響しているのかもしれない。長年のコンビ、三船敏郎との不仲もこの頃から表沙汰になる。(きっかけは「赤ひげ」の頃からだったらしいが。)

同じ時期、古巣の東宝が「連合艦隊司令長官山本五十六」(1968年8月封切り)を企画、三船は山本五十六を演じている。

公開版「トラ・トラ・トラ」で山村聡が演じる山本五十六を、黒澤は、高千穂交易株式会社という会社の社長であった鍵谷武雄という全くの素人を選ぶ。

源田実をはじめ実際にハワイ作戦に携わったり、山本五十六を直接知る旧海軍関係者が当時存命で、アドバイザーとして、撮影に協力していた。

それらの旧軍関係者も注視する中での演技はさぞ大変だったろうと思う。結果的にその不安も悲劇的結末を招く要素の一つとなっていく。

加えて、撮影所スタッフについてもいつもと様子が違っていた。
東宝出身の黒澤が、彼の独善的にも思える完璧主義に慣れた東宝撮影所でなく、種々の理由から東映撮影所が選ばれたのも、解任劇の伏線となる。当時の撮影スタッフは、撮影所に属していたため、東映のスタッフ達は、大物監督のお手並み拝見といった雰囲気だったらしい。

東人(あずまびと、黒澤)を迎える、都人(みやこびと、撮影所スタッフ)の眼差しが冷ややかであったろう事は想像に難くない。

そんな中波乱含みの撮影が始まり、次々と事件が起こり撮影現場の崩壊が詳細に語られる。

  • 撮影開始早々の証明落下事故発生する。
  • 黒澤が撮影中卒倒する。
  • 黒澤が身の危険を感じるといいだしガードマンを20世紀Fox社に要求する。
  • 精神が不安定になった黒澤は深酒を繰り返し、かなり酔った状態でのスタジオ入りを繰り返す。
  • 奇行や黒澤の異常な要求に耐えかねた撮影スタッフのストライキ。等々

「赤ひげ」以降の黒澤映画が面白くなくなった遠因の萌芽がこのあたりにあったのかとも思う。

彼を最大限評価し、アメリカデビューを果たさせようと最後まで黒澤をかばう努力した”エルモ・ウィリアムス”によって解任が直接本人に告げられる。

解任を告げるエルモ・ウィリアムズに対して、黒澤は「監督を続けられなければハラキリをする。」と言う。

それに対し、それが黒澤一流のハッタリと気づいたエルモは、
「何をしようと、それはあなたの問題だ。しかし、問題から逃避するために自殺するのは卑怯者がやることだ。」と、言った。

と、エルモ自身の報告書にあるらしい。日米開戦同様、悲劇的な結末である。

|

« 環境 | トップページ | 青年部総会&県青連総会 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/141855/14947223

この記事へのトラックバック一覧です: 黒澤明vsハリウッド:

« 環境 | トップページ | 青年部総会&県青連総会 »