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2006年5月31日 (水)

散るぞ悲しき

060529_tiruzo本の表題は、玉砕(全滅)した硫黄島総指揮官「栗林忠道」中将の辞世

国の為 重きつとめを果たし得で
矢弾尽き果て 散るぞ悲しき

からとられた。

今年度大宅壮一ノンフィクション大賞受賞作。この本は栗林忠道という個性に焦点が当てられる。硫黄島に赴任以降、彼はこまめに奥さんやまだ幼い末のお嬢さん”たこちゃん(たか子)”に手紙を書く。

”たこちゃん”の夢を見て目が覚めましたとか、台所のすきま風を直さずに出征したのが心残りで、その修理方法を図解入りで指示したりとか。とにかく、慈愛あふれる手紙が多い。

彼は旧制中学-陸軍士官学校-陸軍大学校と進んだエリート。陸軍大学校の卒業席次は二番だったが、主流派(陸軍幼年学校出身者)の留学先が主にドイツであるのに対し、彼は米国に留学、武官としても米国駐在が長く、また、冷静で柔軟な合理主義者でもあった。

かつ、優しい夫であり父でもある彼が、太平洋戦争中行われた陸上戦闘で、唯一米軍の死傷者が日本軍のそれを上回った激戦を演じる事となる。それも大戦中期以降、装備、補給もままならず、応召兵を中心とした精鋭とは言い難い部隊を率いての戦闘で。

彼が硫黄島に赴任したのは昭和19年6月。ひと月前の5月29日にアッツ島守備隊が玉砕、赴任直後の6月24日は絶対国防圏の一角サイパン島失陥。米軍の本格反攻に圧倒されつつある中で、硫黄島は捨て石となる運命であった。結局その麾下二万守備隊の目的は、一日でも戦闘を長引かせ、米軍に出血を強いるということにつきる事になる。勝ち目はなく、補給、援助は望むべくもない。

そんな過酷な戦闘の中で、慈愛あふれる手紙を書いた栗林忠道という個人の人間性が浮き彫りにされる。

大本営宛決別電報に先の辞世が打電するが、新聞発表で結語を「散るぞ口惜し」と改ざんされてしまう。硫黄島守備隊の奮闘は、その戦訓を行かす方向ではなく、アッツ島、硫黄島に続けと「一億玉砕」「一億総特攻」の空虚なスローガンが声高に叫ばれるようになっていく。

米軍の本格的反攻にされされ戦術的ミスを重ねる統帥部をはっきりと批判し、従容としてその任に殉じた一司令官の物語である。

短絡的な反戦平和など叫ばない、真に平和の尊さを考えさせられる良書と思う。

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2006年5月29日 (月)

白洲次郎

060527_kazeotoko白洲次郎-風の男」は、終戦後吉田茂の懐刀と呼ばれ、GHQと渡り合った人物の評伝。夫人の白洲正子さんが著者(青柳恵介)を見込んで執筆を依頼した本。

主人公の白洲次郎はとにかく痛快でカッコイイ。GHQ高官をして
「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。

祖父は三田藩(兵庫県三田市)の大参事、実父は実業家、本人はケンブリッジ大学クレア・カレッジ卒業というなんとも、華麗な経歴の持ち主。

GHQの高官にその英語を褒められた際

あなたももう少し勉強すると英語が上達しますよ。

と切り返したとか。とにかく痛快なエピソードが満載の人。

今日出海、河上徹太郎達と親交を結び、小林秀雄とは子供同士が結婚という、その交友関係も上質なものであったらしい。

戦後発足した「貿易庁」(通産省の前身)の成立に深く関わりその初代長官を務め、分割民営化により成立した東北電力の会長に就任したり、戦後日本のグランドデザインに大きく関わったその業績は一言では言い表せない。最近新たに評伝が出て、「山本七兵賞」をとった。物語風な内容でおもしろく読めた。060527_sirasu01

ただ、かなり圭角のある人物だったらしく、彼に邪険に扱われた人々からの評判は芳しくない。が、本質はせっかちで、優しくて、照れ屋だった。青柳恵介が名付けた「風の男」は言い得て妙と思う。

他に本人の書いたものを集めた
プリンシプルのない日本」も小気味よく面白かった。

Principleとは本人がよく口にした言葉で、原理とか原則、高潔な精神を基にした信条、徳義という意味が含まれるらしい。とにかくスジの通らないことは嫌いだったとか。

占領時代、GHQとのやりとり、サンフランシスコ講和条約調印に至るまでは特に興味深い。現行憲法の成立の経緯など、改めて考えさせられる事が少なくない。

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2006年5月21日 (日)

マイク・マンスフィールド

060520_mike060519_maike2 上・下2巻。著者は元ワシントンポスト紙外交専門記者、訳者は共同通信社の記者お二方。英文脈を生かした?傾向の訳文のためか、英語がさっぱりな自分には少々はかどりが悪かった。

マンスフィールドの政治家としての履歴は長い。1943年下院初当選、1977年上院議員引退(多数党上院院内総務も勤めた)するまで米国の内、外政に深く関与した。また、1977年より1989年まで駐日米国大使を勤めた。民主党のカーター、共和党のレーガンと異なる政権で駐在大使を勤めたのは異例なことと思う。

良い意味で、リベラルな知性を有した希有な政治家を通じて、第二次大戦後の米国政治史を俯瞰的に眺める事の出来る好著と思う。とりわけ、東アジア関連について。が、訳文は読みづらかった。(T^T)

戦後史といえば、今朝(日曜朝)TVに出演の宮沢喜一元首相を見て驚愕。元々地球人離れした容貌の持ち主ではあるが、ますます・・・。

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2006年5月10日 (水)

コラムデヴュー

町内外を問わず根強い人気を誇るアッパーミドルのアイドルA藤K子嬢
この6月から半年間地元E新聞のコラム「伊予弁」にご登場。発行部数が増えること疑いなし?(^^ゞ

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2006年5月 5日 (金)

昭和史-戦後編-

060505syouwasi_1戦前編につづいての語り下ろし。昭和28年に文芸春秋社に入社し、編集者、役員を務めた著者ならではのエピソード満載の好著と思う。
特に戦前の政財界、陸海軍の当事者を直接知る著者の言葉は重い。

戦後教育を受けた身、特に昭和30年代以降に生まれた世代は、昭和以降の歴史認識が欠落している。近年、当事者が鬼籍に入り、事実関係が遠慮無く解明されるに従ってようやく昭和(特に戦前)が歴史として語られるようになった。

憲法制定、東京裁判、etc日本人が議論を避け過ぎてきた。かつてはこれらの事を取り上げようとするだけで、改憲論者、復古主義者、軍国主義者等々、レッテルを貼り議論を封殺する向きが強かった。旧社会党を中心とした護憲派の勢いは今何処・・・。

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