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2006年2月13日 (月)

一死、大罪を謝す

060214_ananポツダム宣言を受諾した鈴木内閣で陸軍大臣を務め、昭和20年8月15日未明、「一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル」の遺書を残し割腹自決を遂げた阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大将の伝記。

阿南大将については、半藤一利の「聖断」「日本で一番長い日」などで描かれた部分については承知していたが、侍従武官時代、昭和天皇に特に愛された逸話もある人で、終戦時の頑なな態度どうも一致した人物像が浮かんでこず何か良い本は無いものかと探していた。

角田房子さんの閔妃暗殺 (新潮文庫)を以前読み、緻密な論証と抑制の利いた記述に好感を持っていたので、期待をもって電子書籍版を購入。予想に違わず、阿南大将と当時の環境を丹念な取材と冷静な筆致で描いた力作。

陸軍を代表する陸軍大臣として、あくまで”国体護持”を目的とした”本土決戦”を主張しながら、本心は、速やかな和平を望む昭和天皇の意向を実現すべくその身命を賭した、高潔無私な人柄であった事が良く分かる。阿南大臣でなくては帝国陸軍の統制はあんなに上手くはいかなかったという、当時の人々の述懐も尤もな事と思う。

  • 当時、天皇を元首とした明治憲法下の体制を守ることを”国体護持”と言った。”天皇制”という言葉は、戦後左翼的立場の人が戦前の体制を批判するのに用い始めた言葉。最近、自民党の超保守派の人々もしきりに”天皇制”という言葉をご使用になる。

それにしても、軍部を中心とした当時の人々の硬直した思考性には嘆息を禁じ得ない。阿南大将とて例外ではなかったろう。明治以降の日本の教育が柔軟性と多様性を重要視していなかった事をつくづく考えさせる。そして、その弊は今にも続いていると思う。

ちなみに、先年中国内の日本領事館への駆け込み亡命事件で話題になり、結果駐中国大使を更迭された阿南惟茂さんは、この阿南大将の末のご子息。

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